統失にかかっている読者さんがいらっしゃるなら10人中3人くらいには同意してもらえるのではないかと思うのだが、私には自己嫌悪、絶望感、不安感、などなど辛い感情を抱いたときに聴く音楽というものがある。

今日は私が聴いてきてこれはいいなと思った曲をまとめてみようかと思う。

・「対象a」anNina
たいしょうあーと読むらしい。
アニメ「ひぐらしのなく頃に解」のエンディングである。
グロ系を受け付けない私だが、例外として「ひぐらしのなく頃に」はとても好きだ。
数々の凄惨な悲劇をつい己の人生になぞらえて考えてしまうのだが、それを乗り越えようとする主人公たちを見ると少しだけ勇気が出るからだ。
そして数々の悲劇を主人公たちみんなで乗り越えていく祭囃し編という奇跡があったから、アニメを通しで見ると救われるような気持ちになる。
グロアニメ耐性がある人には是非見ていただきたい。
私が個人的に好きなのは目明し編だが、その理由はちょっと論題から外れるのでそのうち「今日も往く」あたりで書こうと思う。
「ひぐらし」でやや盛り上がりすぎてしまったが、「対象a」は曲が暗い、というそれだけで鬱になっている人の心に寄り添ってくれる感じがするので、まあまずは聴いて下さい!と言いたい。
オープニングの「奈落の花」島みやえい子もいいぞ。

・「生きてることが辛いなら」森山直太朗
割と定番かもしれない。
「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」はもはや私の中でお馴染みだし、よっしゃ小さく死ぬかと思うが、世間では反感を買ったらしい。
そりゃ健康に生きてられるあんたらには理解できねーだろうな!!健康じゃない人の痛みなんか理解できねーよな!!と逆ギレしつつ、最後まで聴いて欲しいという気持ちもある。
「生きてることが辛いなら くたばる喜びとっておけ」この一言にただ救われる。せやな…と思う。

・「死ね死ね団のテーマ」キャッツアイズとヤングフレッシュ
はじめに言っておくが決して鬱曲ではない。
イライラして怒りが止まらなくなったときに歌うと良いと個人的に思っている。
「レインボーマン」挿入歌であるが、何がすごいって歌詞である。
こんなん放映して流せた時代があったことがびっくりである。
金で心を汚してしまえ!は割と効果あるので(そのうち記事にしようと思う)あまり笑えないが、夢も希望も奪ってやりたくなるくらい精神が荒れるときもあるので割とBGMとして良いのではないかと思う。
ちなみに私はストレス解消一人カラオケに行く際は必ず歌う。
別に誰かの死を願っているわけではないが、鬱憤という感情を込めて死ね死ね連呼できるのでおすすめである。

・「コネクト」ClariS
「魔法少女まどか☆マギカ」オープニング。
「溢れだした不安の影を 何度でも裂いてこの世界歩んでこう」が一番好きなフレーズだ。
何かというと鬱になる私にとって、「コネクト」は人生のテーマソングだと勝手に言っている。
しかし劇場版まで見ろとは言わないが、アニメまどマギを見ないとどう鬱ソングなのかわからない仕様になっているのがなんともという感じである。
お勧めしづらいがアニメと一緒に聴いて欲しい。

・「プラットホーム」Salyu
なんのタイアップ曲かは忘れてしまったが、なんというか、曲調が鬱を運んでくるような、そんな一曲である。
手短に語ったら本当に手短になってしまった。

・「Imaginary Affair」KOTOKO
成年向けPCゲーム「こなたよりかなたまで」テーマソング。
今聴いたらふむ…という感じなのだが、実際辛かったときはいつもこれを聴いていた気がするので挙げておく。
気が付いたら「遠く広がる丘に登りつめ」、その先に行けたのかもしれない。

・「はじまりの日」みなを
「D・N・ANGEL」エンディング。
無力感に打ちひしがれている時におすすめしたい。
「迷って今日も行く場所なんてない 夢なんて誰も叶えてはくれない 私は歩くことすらできなくて それでも朝は動き始めてる 夜は明ける」
統失陰性症状あるあるだと思った。

・「大事なものは目蓋の裏」KOKIA
これはガチだな、と感じた一曲。
私より症状の重い友人が私に「聴いて!」と言って勧めてくれた。
今まで挙げた曲がぬるいな、と感じたらぜひこの曲を勧めたい。

こんなところだろうか。
お気に入りの一曲、または「この曲もお勧め」などあったらコメント欄に投じておいてくれると助かる。

ちなみに余談だが、私が医者に「社会復帰は難しいよ」と言われたとき23年の人生の中で一番絶望したが、そのときに最大音量で流していた曲は「DON'T WORRY BE HAPPY」モンゴル800であった。
ジグソーパズルを組み立てながら聴いていた。
実に典型的な現実逃避である。

まあ確かに社会復帰は難しかったのだが、それそれなりに大変だったが、しかし苦難を乗り越えここまで生きた私は自分を誇ることにしたい。

祖母宅から昨日(5日目にあたる)帰宅した。

どうにも生活費という名のものでも、大金が手元にあると、私はその大金を浪費してしまう癖がある。
5日目はそれがモロに出てしまい、5000円くらいかけてオトカドール、アイカツ!スターズをプレイしてしまった。
朝から夕方にかけて飯も食わずゲーセンにいたわけである。

その反省として、沼津で暮らしても実家で暮らしても「現実」というものは突きつけられてしまうな、と感じた。
当たり前なのだが、どうやら羽を伸ばせる場所にいると、現実からそのまま逃げてしまうらしい。
それは、きっと良くないことだ。そう感じながら、祖母宅に帰った。

家に帰ればうつでぐったりしている母がいる。
祖母宅にいたら、現実が見えなくなる。

どうしていいか分からなくなった私は、父に電話をかけた。
すると、「祖母宅にいるのはあくまで一時的であって、母がうつだろうと実家で暮らさなくてはいけない」という現実を突きつけられた。

私は、うつの母親とまだまだ一緒に暮らし、ときに八つ当たりを食らう現実に帰らなくてはならないのだ。
それを聞いたら、途端に悲しくなってしまい、私はボケがきている祖母につらいと訴えてしまった。

祖母宅にずっといるわけにはいかない。
不安定な家で受難を食らわなくてはいけない。

祖母は、「何度も同じことを言うけれど、いつでも辛かったらすぐにおばあちゃんの家に逃げてくるんだよ」とボケているので本当に何度も言って、私にその分の電車賃をくれた。
その言葉が嬉しいのと、世界で一番不幸だと思ったわけではないが自分の不遇さを思って、しばらく泣いてしまった。

そして、私は父にもう一度電話をかけた。
「家に帰るから、迎えにきてくてほしい」と。
仕事帰りの父だったが、父は快く祖母宅に1時間半かけて車で迎えにきて、私と大量の荷物を持ち帰ってくれた。

家に帰ってきたら、少しだけうつが軽くなったらしい母が迎えてくれた。
疲れていたのでその日は寝たが、いろいろなことを思った。

家族と一緒に「家族」として暮らすということは、ときに優しく、ときに理不尽に厳しくなるものである。
うちの場合は理不尽すぎて、逃げなくてはならないときこそあるが、やはり、家族がみんな笑顔で暮らせるように努力することは必要なのである。
一時的な逃避行はともかく、本当の意味で逃げてはいけないのだ。

祖母の家にはヘルパーさんが来ていたので少しお話をしたのだが、そのヘルパーさんには子供がないという。
子供が欲しかったのだが、結局子供はできなかったらしい。

みんなそれぞれ、家族というグループのなかで暖かく暮らしたり、ときに非情な事態と向き合いながら暮らしている。
苦労して家族と一緒に生きているのは、なにも私だけではない。
みんな何かしらの悩みを抱えて生きているのだ。

当たり前のことであるが、それを改めて学ぶ貴重な5日間だったと、今は感じている。

辛いこともあるが、現実と向き合って生きていく覚悟を決めることができた。
でも、いつでも逃げてきていいんだ、と言ってくれる優しいおばあちゃんをときに頼りにしてもいい、ということも分かった。
みんな「家族」の中で苦労しているからこそ、人にも優しくできるのだ。
祖母宅で休ませて貰えたから、現実と闘って生きる覚悟ができた。

だからこそ、闘わなくちゃ。現実と!

昨日コーヒーを夜に飲んだら見事に寝付けなくなってしまい、徹夜してふらふらになってしまったため仕方ないので絵描きを4日目はおやすみすることにした。

と、いう訳でゲーセンに向かった私であるが、オトカドールとアイカツ!スターズを唐突に始めることにした。
あとは引退していたプリパラのマイチケ、大量のプリチケを来週ここに持ち込めば女児向けゲームはだいたいカバーできる。
「やったぜ」と内心思った。

月曜日は自宅から近い医院に行く用事があるため、土曜に父に強制送還されてしまうことがはっきりしたので、プリパラも始められそうである。

というのも、母の具合がまだ良くならないのだそうだ。
これではまた「うつ病の母VS統合失調症の娘」で衝突するに違いない。
そういうことで、私は来週も祖母宅に厄介になるつもりなのだ。

しかし、頭も身体もふらふらな徹夜状態は非常にしんどい。
「家族とは何か」という議題についても頭が回らない。
そのため、今日は短いがこの辺で話を終わろうと思う。

祖母宅にきてから3日が経った。

あまり家で作業する気が起きなかったので、というよりポップンミュージックがしたくてしょうがなかったので、朝一からゲーセンに足を運んだ。
ダンレボ(かなりいい運動になる)とマジアカにも手を出し、快適かつ充実したゲーセンライフを送ってしまっている。

昼ご飯を買って家に戻ると、祖母の世話役のヘルパーさんが来ていた。
とても人当たりの良い方で、作業合間に喋ることができて何となく暖かい気分になった。

作業をする気がしなかったので昼寝をしていたが、昼寝から目覚めてみたら頭が働かなかったため私は即ゲーセンに向かった。
徒歩圏内に大型かつ安く遊べるゲーセン、大型の本屋、そしてアニメイトがあるのだからここは天国(ヘブン)なのだろうと解釈している。

ゲーセンを後にしたところで、昨日寝付きが悪く困ったのを思い出したのでアニメイトで艦これの漫画、「艦々日和」を4巻まとめて大人買いして帰った。
あとCDプレイヤーが祖母宅にあったかどうかは忘れたが、欲しいと思ったのでまだTSUTAYAで借りていなかったうたプリのカルナイのCDを買っておいた。
初回限定版に付いているICカードステッカー目当てである。
なんとなくPASELI、というかeAMUSEMENTのカードに貼っておきたかったのだ。

それにしても、我ながら親のすねをかじり遊び呆けるニートの鑑である。
働きたいのはやまやまなのだが、母親の調子がまだあまり良くないということなので、もう少しニートin沼津をエンジョイしたいところである。

だがしかし、大歓迎を受けながらニート生活を謳歌できる、いるだけでありがたがられるこの環境に慣れてきてしまっているので、「家に帰り、普通の生活に戻る」というビジョンがだんだん見えなくなってきているのが少し困る。
このブログ記事の生産も、下絵をせっせと描きためパソコン作業に備えることも、家でサイトを更新するためにやっていることなので、家に帰ることが前提になっている。
そこのあたりに矛盾を感じずにはいられない。

なんだか「ヒステリックマミーから逃避行している」というより「現実から逃避行している」気がする今日この頃である。

久しぶりに泊まりで訪れた私は、祖母宅の2階で目を覚ました。
まず思いついたことは「朝ご飯を買ってこなくてはならない」ということだった。

まだ寝ていた祖母を「おばあちゃん、朝だよ」と起こしたらえらく驚かれてしまった。
祖母はボケが進行しているので私が家に滞在していることなど忘れているのだ。
なので、私が家に滞在している旨を再び伝え、驚かせてしまったことをとりあえず詫びた。

そして、父から私の生活費として預かったお金を少し、あと祖母の朝食と祖母が好きなおやつを買ってくるために少し借りたお金を持ち、近くのコンビニに向かった。

コンビニで、紅茶、パン、ヨーグルト、祖母のおやつを買い、祖母宅に戻った。

祖母にお釣りを返し、腰の痛み止めを飲ませ、ご飯を食べた後、私は2階の部屋に戻った。

逃避行先の祖母宅に滞在中、やることはサイトに載せるための「下絵の量産」と「ブログ記事の書き溜め」と私は家を出るときに決めていた。
そのためにトレス台を持ち込んでいるので、さぎょいぷの会議に入れて頂き、絵を描き始めた。

ネット環境が整っていなくてもスマホの回線でスカイプができることに感動しながら、イラストの作業を進行させた。

そうこうしているうちに11時を過ぎたので、駅前の繁華街に行くことにした。
あまり外をうろつかぬようにとは言われていたが、引きこもり体質ではない私には無理な話なのでひょこひょこと本屋、アニメイトに行った。
(アニメイトが徒歩圏内にあることに改めて感動を覚えずにはいられなかった)

買ったものはスクフェスのイラスト集の1巻と3巻。
前に2巻だけお試しで購入してみたのだが、絵の資料として大変役立ったのでこの2冊は買おうと前々から決めていた。
あと、うたプリ2000%、そしてヘタリアのイラスト集も買った。
きっと滞在中に役に立ってくれるだろう。

その後、ポップンミュージックの奴隷と言わんばかりにゲーセン通いの身でポップン欲を抑えられなかった私はゲームセンターに足を運んだ。
ちゃんと最新版の機種が二台稼働していたので大喜びでカードが出る台を選んだのに、「現在カードは品切れです」というポップが貼られていて泣きたくなった。
そのお詫びのつもりなのか90Pで3ステージプレイできると書いてあったので、渋々1時間強居座った。
カードを購入しなければポップンは大変コスパのいいゲームであるということに気がついたが、カードが欲しいので気がつかなかったことにしようと思う。

そして、駅前のTULLY'S COFFEEで昼食を取り、このブログ記事を書いている。
家で母が怒り狂って下北半島の住民に迷惑をかけようとしている一方、バカンスに訪れたような気分である。

しかし、情緒が不安定な母と私は、離れて暮らしている方がお互い精神衛生上いいのではないかなあと、割と本気で思ってしまった。
このまま祖母の介護を引き受け、静岡でもマネキンの仕事ができるなら静岡で仕事をしたいくらいである。
家から離れてみて思ったが、私が家にいるときは、どこか母の顔色を伺い、緊張している節があったように思う。

家から離れて2日目。
「家族とはなんだろうか」という私の疑問の答えは、まだ出てこなさそうである。

今回は、祖母宅でこのエッセイを書いている。

近日母が胃の調子を悪くし、さらに持病のうつを拗らせ、私に八つ当たりをするようになった。
私は幼い頃から母のうつによる八つ当たりを食らっていたがために、母が調子を崩すと不安に駆られ、統失の陰性症状の鬱が悪化するので、父が庇ってくれていた。
しかし、母の病状は悪化、ヒステリースイッチが入ったため、やむなく私は静岡県の沼津市にある祖母宅に身を寄せることとなってしまった。

祖母は独り暮らしでボケがだいぶ進行しており、1日置きにヘルパーさんが面倒を見に来ているような状況だが、私を快く歓迎してくれた。
私にとって大切で優しい唯一の「おばあちゃん」なのである。

先ほど、2階に上り荷物整理をしていると、おばあちゃんは痛いだろう腰を上げ、私と話をしに来てくれた。
久しぶりに一緒に暮らせる者が来たので、きっとおばあちゃんはとても嬉しかったんだろう、と思い心が暖まった。
家でヒステリーによるダメージを食らった傷が少し埋められた気がした。

今は祖母と「鶴瓶の家族に乾杯」のテレビ番組を見ている。
家族はどうしているだろうとふと思った。
たぶん父が母に罵声に暴言を吐かれているんだろうなと思う。悲しい。
私が家を出る前に聞いた母の罵声が(私の「実家にでも帰れば?」という煽りに対し)「クソババア(母の母)の家になんか帰らねえよ!!!!下北半島に行くんだよ!!!!身投げしてやる!!!!!ああ死んでやるよ!!!!!」だったことを思い出して二重に悲しい。
というか下北半島の住民に迷惑をかけるのでやめて頂きたい。

家族ってなんだろうな、と思う。
今いる祖母はとても優しくて、良いおばあちゃんだ。
だからきっと父も立派に育って、今私、そして私の家を支えている。

母は家族につらい思いをさせられ(※キチガイ親族グランプリ参照)今でもつらい人生を送っている。

そして、家族内で私は大切にされているが、ときどき母の八つ当たりを受けそのたび悲しい思いをしている。

「家族って何だろう」という問いに対しての答えは、まだ私にはわからない。
自分が家庭をもったとき、その答えは分かるのかもしれない。
少し眠くなってきたので、今日はもう寝ることにしたい。
「家族」から受けた心の痛みを少しでも癒そうと思う。

今回のエッセイは私と彼氏の話なのだが、最近、彼氏の調子がどうもおかしいようだった。
就職したばかりでストレスがすごい、ということだけは聞いていたのだがそんな大事だとは思っていなかった。

だが、先日私がバイト先で体調を崩しあわや命の危険、という一件を話したとき、彼は私の無事にほっとした直後自分の愚痴話を話し出したのだ。
普通、相手を気遣ってこんなときに愚痴話はしないはずだと思ったし、少なくとも普段の彼氏からは考えられない言動だったため、おかしいとは思っていた。

それから1週間後くらいだろうか、彼が身体の不調を私に訴えだした。
元々彼氏は健康そのものという訳でもなかったのだが、彼の訴えによると毎日下痢をし、食欲がなくなり10キロ超痩せ、頭は日に日に働かなくなりそのためにミスが増えたという。
体調以外の不満として、上司からは毎日深夜に彼を焦らせるためにかけてきたような電話が来て、ミスをすると罰金を取られ、クレームにならなくともクレームが起きかねない案件は全てクレームとして扱いその度会議を自分から開くことを強要されるなどということだそうだった。

あっこいつブラックに就職したんやな…と悟ったが、まず彼氏の体調面が心配になった。
死にたくなるわけではないものの、無気力感からくるぼーっとする感じ、明らかにストレスから来る体調不良、自信を喪失していくなかで決断力が鈍り、できないことが増えていくといった具合なので、このまま放っておいたら確実に彼の精神が壊れる、いやもう壊れているのかもしれないと感じた。

私もいろいろ考えたが、まず思い切ってそこのブラックを辞めさせて、もっと彼がいきいきと働ける職場を探させるべきだと思った。
そしてその前に、彼の体調不良を治し、精神面のケアをせねばならないとも感じた。

とりあえず、決断力の鈍っている彼氏であるから自分から退職する、と言い出すこともできない訳であるから、多少無理にでも退職させるため、「一生のお願い」と称し「仕事を辞めてくれ」と泣き落とした。
彼は幸い私のことをとても大切にしてくれているため、なんとか辞めることを決断してくれた。

その時は既に18:00を過ぎていたが、なんとか彼の具合だけでも見に行こうと思った。
彼氏がいつも「なのと一緒にいるときが一番心が安らぐと言ってくれていたからだ。
その日帰りが遅かった親まで泣き落としホテル代2万円を借り、私は片道2時間かかる彼の家へと向かった。

21:00頃彼の家についたが、彼とのホテル宿泊は許可が降りなかった。まあそれはそうかもしれない。
それはそれとして、ここからが問題である。

とりあえずリビングで話をしようということになり、とても話をしたくなさそうな彼氏を連れリビングに行った。
そこで繰り広げられた会話は、私の予想の範疇を大きくはみ出した会話であった。
鬱でぐったりしている彼氏に「仕事を辞めるのはいいけど、もっと元気良く前向きにやめなさい」と言うのである。
私は「彼は体調が悪いのでそう元気良くとはいかないのでは」と意見したが、「あんたは黙ってろ」と言われたので「はい、黙ります」と答え黙ることにした。
そのあとの説教を聞いたが、それら一つ一つがあまりにも私にとってショッキングなものだった。

「会社でのミスが多い?気にするな、あと部屋を毎日掃除しろ、汚い部屋で暮らしてるからそういうことになるんだ」
(どう考えても屁理屈)

「体調が悪い?毎日の下痢?そんなの誰だってそうだ」(少なくとも私の周りで下痢に悩んでいるのは彼だけである)

彼氏「なにかの精神的な病気かも…」
両親「そうやって何でもかんでも病気にして逃げるな、気持ちの問題だそんなの」

ここで黙っていられなくなった私は「精神的な病気を甘くみないでください、もし仮にそうだとしたら本当に苦労するんですよ」と口を挟んだ。

その瞬間彼氏の両親からの罵声が飛び始めた。

彼氏父「お前みたいな小娘に(彼氏)の何がわかるってんだ、こっちは親なんだぞ、こっちだって心配してるんだ、だいたい何をしに来たんだ、話を拗らせたくて来たのか!」

彼氏母「なのさんのこと責めたい訳じゃないんだけど、私にも拗らせたくて来たようにしか思えないわ…」

彼氏父「うちの息子の頭がおかしいとでも言うような言い方をするな!気持ちの問題だ!!もうはよ帰れ!!ホテル泊まるんならホテルに帰れ!!!」

他にも口論をしたが元々口論が得意でもなく2対1という不利な戦況だったため、途中で見切りをつけた私は「とても失礼しました、帰ります!」と吐き捨てた。

それを見た両親は「ちょっと言い過ぎたけどこれからも(彼氏)のことをよろしくな」と言っていた。

それに対して「当たり前です!!!!!」と返し、私はその場を後にした。
私にとって彼氏がどうでもいい男なのなら、はじめから2万も出しこんな夜に片道2時間かけて家になど来ない。

要するに彼氏の両親は精神的な病、状態に理解がなく、そのせいで彼氏は両親に相談できず、私に助けを求めた、という流れだったのかということが良く分かった。

7年統失と闘病してどうにか立ち直った私を全否定された感覚と、その理解のない環境でこれから立ち直っていかなければならない彼氏の心境を思い、家を後にしたあと二重の意味で少し泣いてしまった。
ODするだけの薬を持ってこなくてよかった……とも思った。
私はカッとなるとODをする癖があるのだ。

ホテルについていくと主張する彼氏には帰ると偽り、駅でフェイントをかけてホテルに向かった。
元々彼氏とゆっくり話をしながら、身体と心を休ませるために、自腹でホテルを二人分予約してきたのであるが、彼氏を連れていかないようにと彼氏の両親に言われたので角を立てたくなかったためだ。
一人でお高めのホテルに入ったが、やりきれない思いで夜を過ごした。

翌朝、彼氏の両親は理解がないのでもう頼りにも気にもしないと決意し、2-3日何も食べてないという彼氏にコンビニで買った3つのウイダーinゼリーを飲ませるべく、彼の家にまた図々しく訪れ(仲良くできないと分かったから相手に遠慮などしないことにした)、1時間ほど彼の様子を見てから地元へ帰った。

以上は私の愚痴話であるが、この経験を通して、いかに世間では精神的な病への理解がないかということを改めて、いや、初めて思い知った。
うちは精神病の患者が多い家系なので、「理解されない」ということがどういうことか分からなかったのである。

確かに彼氏には「家に行く」と言ったがそれを彼が理解のない両親に言っておいてくれるはずもなかったので、夜遅く家に伺ったのは失礼だっただろう。
しかし、少しばかりでも彼を心配して終電がなくなるのを覚悟で彼の助けになりたいという気持ちを分かってもらえると思っていた。
私は只の馬鹿者だったのかもしれない。

だが、私はご両親と私との不仲を理由に彼氏との関係を変えるつもりは毛頭ない。
こういっては失礼だが、別にご両親には興味がないのだ。
彼さえ笑顔でいてくれれば、それで彼と笑顔の溢れる家庭を築ければご両親がどう思っていようと別に知ったことではないのである。

だからそれはどうでもいいとしても、この先、至る場所で「理解されない」苦しみを背負って私は生きていくのかと思うとため息の一つもつきたくなるものだ。

しかし、彼の家からの帰り道、電車の中で「理解されない」苦しみを抱えて、頼りにできる人がいないという人々がこの日本にどれくらいいるのだろうと思ったら、とても悲しい気持ちになった。

この痛みを「理解できない」人々は本当に幸せだなあと思う。
この苦しさを知らないということは幸せだ。だからそれでいい。

でも、私はこの痛みを経験したのだから、理解できるのだから、苦しんでいる人の助けになりたい。側にいたい。
どんなものであれ痛みを知ることは、自分にとって損かもしれない。
でも、もし同じ痛みを抱えている人の救いになれるのであれば、それは私にとって大きな喜びだ。
損得なんかどうでもいいくらいの大きな喜びだ。

だから、私は常に人に優しくありたいと、切に願った。

前回の記事がひぐらしでいう綿流し編であるとすれば、間違いなく今回の記事はひぐらしでいう目明し編である。
すなわち、私が精神を病んだ裏事情を明かす、という話である。

話は、私の産まれるずっと前に遡る。

私の母は、私の祖母が20の時に産んだ子である。
その数年後もう一人、母にとっての妹、私にとっての叔母が産まれた。
祖母はたいそう金持ちの家の生まれで、戦後、みんなが汚い服を着て学校に来ている中、一人綺麗でかわいい服を着て学校に通っていたという。
そして、私の祖父もたいそう金持ちの家の生まれで、戦後の農地改革で損をする方、つまり広大な農地の地主の家の子だったという。

祖母は2人の娘に大きな期待をかけ、立派になりなさい、立派になりなさい、とそういうスタンスで母、叔母を育てたという。
祖父は何も考えていないイエスマンで、「祖母の言うとおりだ」と常に言っていたという。

母は、小さい頃から「ピアニストになれ」と言われピアノを小さい頃から高2のときまで続けさせられたという。
また、偉くなれ、ということで勉強もかなりしっかりしていたらしい。
地元で一番の進学校に入った際、祖母はそのことを周りに自慢して回ったという。
そして、進学校での勉強の成果は無事に出て、筑波大学に理系で合格した。

叔母も母と同じく地元で一番の高校に入った。
やや母より頭が良かったらしく、上智大学に文系で入学、その後大学院に進み博士号を取り、上智大の教授になった。

母は気質的に研究向きではなかったらしく、難しい試験を通って合格した大学院を修士まで取って、その後しばらくして一流企業に就職した。

優秀な娘たちが元気に大きくなった、というのがここまでの流れであるが、祖母にとって、ここまでの話で大きな不満があったらしい。

「(母)はピアニストにもなれなきゃドクター(博士号)も取れなくてサラリーマンなんかに成り下がった!期待外れだ!!どうしてくれる!!!」

そう言って母を邪険にし続けたらしい。
なお、母を邪険にするのは詳しくは聞いていないがそのときに始まったことではないらしい。

さて、母の職場で祖母曰く「サラリーマンに成り下がった」母を好きだ、結婚してくれという人が現れた。私の父だ。
私の父は、田舎の大工の家の生まれで、優秀であり、中高生のころは生徒会長になったりと何かと人望があったらしい。
そして、現役で東京大学の理科一類に入学したという経歴を持つ。
ただし、家は貧乏であり、父の父、私の祖父は早く亡くなってしまったため、親に頼らず全て自分自身で生計を立てなくてはならないという状況下であった。

父と母は結婚することになったが、祖母はそこで激怒したという。
「父の家が貧乏」だからだ。
これでは玉の輿に乗れず、近所に自慢もできないと思ったのだろう。
父も母も、その理由が見抜けず、何故邪険にされるのか分からないままいじめられ続けた。

その一方、なんと叔母は億単位の大金持ちの家の息子と結婚することになった。
祖母はそれに大喜びした。
そして、「(母)はどうしようもなく駄目な娘だ、(叔母)やとても優秀で私にとっての誇りだ」と叔母をホイホイ持ち上げた。

話は母の話に戻る。
母は研究職向きでないのに研究職についてしまい、上司や同僚にいじめられていて、精神的に辛い思いをしていたという。うつ病もその頃からあったという。

そんな中、母のお腹に命が宿った。今こういうことを書き連ねている人間、即ち私である。
母はしばらく働いていたが、妊娠6ヶ月頃から休み、私が産まれてからは産休を1年取り、その後は私の子育てに専念したいという理由(母には感謝している)で会社を辞めた。

今度は私を理由に専業主婦に成り下がったと散々祖母から文句を言われていたが、祖母は初孫として産まれた私のことは歓迎した。

「この子は頭がいい子だ、しっかり育てなさい。この子が立派にならなかったらそれは母であるお前のせいだ」

と、祖母は口癖のように言っていたという。
祖母は何かと私を甘やかしていたので、裏事情などまだ分からぬ私は祖母が好きだった。

一方、叔母の方にも娘が産まれた。
しかし、叔母は仕事が忙しく、娘に手をかけてあげる暇がなかったらしい。
娘である私の従妹は生後一ヶ月にして既に、狭苦しくて暗い保育園に放り込まれていた。
祖母の期待の星である叔母も、相当な圧力をかけられていたものと推察できる。
ちなみに従妹が気の毒な話はこのあともしばらく続く。

だいぶ時は流れて、私が小学校3年生のとき、私の父が単身赴任で山梨に行くことになった。
私は転校したくなかったし、「お前は神奈川に残れ」という祖母の圧力で、私と母の二人暮らしが始まった。

母は私が育っていく間、暇を見つけてはピアノの練習をし、ボランティアで合唱団のピアノの伴奏をしたり、物理を1日3時間以上勉強して、ついには奨学金を貰って天文台に研究をしに週に1日くらい通っていた。
祖母に評価こそされなかったが、うちの母も実はすごいのである。

しかし、あるとき、ぷつんと琴線が切れてしまったように何もできなくなって、寝込んでしまった。
1日2日ではない。3年寝込んだ。
本格的にうつ病を発症してしまったのだ。
(なお、そのうつは今でも何かと母を苦しめ、今現在も父に八つ当たりしているのをBGMに私はこの記事を書いている)

前回の記事と被るが、私は何かと母に八つ当たりをされ、辛い思いをしていたので、母を治すべく「精神科医になりたい」という夢を掲げだした。

祖母の目が輝いた。
「おばあちゃんはなのちゃんを応援するね!!!」
と言われた。当時はお、おう?という感じではあった。

そして、祖母の重圧が今度は母を通して私に降りかかってきた。
「もう従妹は塾に行っているというのになのちゃんをなんで塾に行かせないんだ!!!」「この子の夢が叶わなかったら、それはあんたのせいなんだからね!!!」と母は毎日のように電話で言われていたらしい。

私が中学1年の初めてのテストの成績が出た。

数学80点、社会86点。

母に激怒された。「何でもっと勉強しなかったんだ、何でこんな馬鹿な点数を叩き出して平気な顔をしているんだ」と叱られた。

以降、私はテストの点数で9割を超えないと人権を失うと分かったため、毎度テスト2週間前から胃薬と友達になった。

ちなみに中学2年のとき、一度だけ理科のテストで72点を取ったことがあった。
やはり母に激怒されたため、「出来損ないで悪かったな!」と逆ギレしたら「本当だよ!!!!!!!」と返ってきたため、以降私は何かを諦める際「まあ私は出来損ないですし」と思うことにしている。

そして私は高校に入った。母、叔母と同じ高校である。
祖母は孫が地元で一番の進学校に入ったことをまたまた周囲に自慢して歩いたらしいということは私の耳にも入った。

その頃だろうか、叔母の元々弱かった身体が悲鳴を上げた。
叔母は教授だけでは満足できず、なお祖母の期待に応えようとし、ペン字の界隈でも第一人者と呼ばれるくらいの才能と能力を発揮していた。
ちなみに従妹と叔母は折り合いが悪く、喧嘩ばかりしていた挙げ句、叔母は従妹を北海道、函館の白百合学園に島流しにしていた。
その島流しにした、という話の直後のことであった。

叔母は、既に癌、しかも末期の癌を発症していたことが発覚した。

今思えば、どう考えても祖母の重圧というストレスからの発症である。
あれよあれよという間に叔母は弱っていき、私が高1、従妹が中2のときに亡くなった。

死に際、一番仲の良かった母に、最後に泣きながらこぼした言葉があまりにも悲しかった。

「私がやってきたことなんてほんの紙切れにすぎない。(従妹)に本当に悪いことをした……私の人生は、間違っていたのだろうか………」

そして、叔母が亡くなって二度目の冬、今度は私が統合失調症を発症した。
よって、私は精神科医を諦めざるを得なくなった。

従妹は叔母が亡くなったため函館にいる理由がなくなり東京に帰ってきて、入った高校はすぐ辞め、ニートになった。
今でもたまにスカイプをするのだが、今でもネットの海に浸かる毎日だという。
最近はオカルトにハマっているらしい。

その後、私がS大学に入ることになったとき、祖母はこう告げたという。
「何で浪人させてもっとランクの高い大学に入れないの?」
4年通ったS大学は私にとってとてもいい大学だったのだが…

そして、3年前くらいに、うちに祖母から一本の電話がかかってきた。

「家の塗装費がないから100万円くれない?」

そういう話だったらしい。
そこで、父、母は祖母の陰謀が諸悪の根元であると悟ったという。

要するに、祖母は金が欲しかったのだ。
周囲に羽振り良くし、贅沢がしたかったのだ。

本当にそれだけの理由で、自分の思い通りにならないとキチガイかというほど怒り狂うという方法で圧力をかけ、母、叔母、従妹、そして私の人生を踏みにじり、台無しにしたのだ。
もちろん100万円に関しては父がはっきりと断り、一円たりとも出さなかった。
以来、祖母とうちとの縁は切れた。

私は祖母を憎んでいる。

如何だろうか。
このキチガイババアの家をキチガイ親戚グランプリに出したら結構な上位を取れるのではないかと私は思っている。
まあ、全くもって不毛な話ではあるのだが……

病気という後遺症を抱えながらも、「普通に暮らせる」という今の現実が、私にとって、一番の宝物である。
グランプリの参加賞といったところかな。

今でこそ4年通ったS大学を中退し、遊びの道に魂込めてフリーターを極めている私であるが、実は出身高校は進学校である。

入学当時の志望大学は横浜市立大学・医学部。
東大、京大は難関大で有名だが、医学部入試もなかなかの難関であったりする。
医学部入試はセンター9割は当たり前、その9割をキープしつつも多浪が当たり前、という世界。
要するに東京大学、いわゆる東大より難しい狭き門である。

私立大学に入れるならばそこまでは狭き門ではないのだが、私の家はサラリーマン家庭なのでどう財布をひっくり返しても4000万などという大金は出ない。
と、いうわけで市立、そして家から近い横浜市立大学が私の志望校となった。

志望動機は、私の母がうつ病で、その母と5年間2人きりで暮らしていたことに起因する。
私が小学校4年生のとき、母がうつで寝込んでしまったのであるが、そのとき、いろいろ理不尽なことで八つ当たりを受けた。
だから機嫌の悪い、調子の悪い母が怖かった。

父は単身赴任で山梨に行っていたが、調子の悪い母を一人きりにしないようにとわざと私の部屋を作ってくれなかった。
そのため、私は段ボールで部屋(通称・ダンボールハウス)を作り、シェルターを作ったが、そんな脆いシェルターは2週間も経たないうちに機嫌の悪い母に破壊されていた。

そんなこんなで気がついたら、私は写真を撮るときに笑顔を作れないような子供になっていたのである。

そんな私は、小6の頃、将来の夢として、精神科医を掲げた。
メンタルクリニックに通うも、なかなか具合のよくならない母を助けたかった。
そのころ、小学校の校長先生と話したとき、発言した言葉を今でも覚えている。

「うつは本人だけでなく、その周りの人間も苦しめる病気なんです。もう苦しむのは私だけで十分です。私は精神科医になってうつ病を治して、患者さんと、その周りの人を助けたいんです」

そういう考えのもとに、将来の夢を掲げたとき、豹変した人物が一名いた。
母の母、つまり祖母である。
これはまた別の記事で書こうと思っているが、私は今、その祖母が大嫌いである。
医者になりたいと言い出した私にその祖母は大いに期待をかけたのだった。

「とてもすばらしい夢ね、おばあちゃんはなのちゃんを応援するからね!!」

そう言われた。

そして、中学に入った私であったが、突如環境は急変する。
学年全体からいじめられ、陰口を叩かれる私の友達グループ、そして私。
音楽室に入った途端、やんちゃな男子たちに死ねコールをされて不快だったのをよく覚えている。
私の友達グループ内でも内部分裂が起きており、友達が友達をいじめだすそんな光景を目にした。
それを母に相談すると、進学校ではそんな馬鹿な連中はいないと言われた。
これはもう早く高校生になって、こんな牢獄から抜け出すしかない。
そう思った私は勉強を極めに極めた。
ストレスで顔面神経麻痺が出ようが、蕁麻疹が出ようが、勉強をやめなかった。
幸いこの頃父が家に戻ってきてくれたので機嫌の悪い母から私は庇ってもらえるようになった。

そして、晴れて始めに述べた進学校に入学したのである。
ところが、医学部に入るべく、部活もせず、淡々と勉強を積んでいた私に異変が起きた。
家で勉強できなくなってしまったのだ。

しょうがないので高校の自習室、予備校の自習室で勉強をしていたが、何故か母に「何でアンタは勉強しないの!!」と怒られる日々が訪れた。
医者になれ、医者になれと言われ続けたため、私は医者にならないと人権を失うと本気で思うようになった。
あとで知ったが母は、祖母から電話がかかってくる度、会う度に「なのが立派にならなかったら、それは親であるアンタのせいだからねッ!!!」と物凄い剣幕で言われていたという。
だから、目の前で勉強をしない私を見る度心配になり、心配は怒りに代わり、私はその怒りをぶつけられる羽目になっていたのだ。

そうこうして、高2の冬になったとき、私には大きな変化が訪れた。

突如、高校へ通えなくなってしまった。

駅へ着いたバスを降りたところで、高校へ向かうはずの足が動かなくなってしまったのである。
しょうがないので近くのベンチに座り、低い空を見上げた。
「あのビルから飛び降りたら、私、楽になれるかなあ」
そう思った。

前々から不眠で悩まされていて、駅前の神経内科にかかってはいた。
だが、自殺願望まで出てきたのはおかしい。
母も、朝私を起こそうとしても、白目を剥いて起きなくなった異変から、おかしいと感じたらしい。
もう少ししっかりした精神科を受診した。

そこで告げられた病名が

「統合失調症」

だった。
まあ、早い話、ミイラ取りがミイラになってしまったという話である。

診断の根拠はおそらく高2のときの修学旅行だったのだと思う。

高2のときの修学旅行、沖縄行きの飛行機の中の出来事である。
突如後ろから私の悪口が降るように飛び交ってきた。
訳も分からず、怖くなった私は、トイレに逃げようとしたが使用中だったため、手すりに捕まりながら順番を待った。
悪口は引き続き後ろから聞こえてくる。これではまるで見世物である。
そう思った瞬間、後ろから「見世物じゃーん、キャハハハ」と聞こえてきた。
私の考えが後ろの人々に筒抜け状態のように伝わっている!

…そんなことはあるわけないのであるが、実際そう聞こえたのだからしょうがない。
これがいわゆる統合失調症の陽性症状、

「幻聴」

であると判断されたのだ。

そして、受験勉強はひとまずやめ、医者になることを諦め、その病院に通い、一向に回復の兆しも見えず、浪人生となった私に医者はこう告げた。

「社会復帰は難しいよ」と。

家族には「なのさんの社会復帰は諦めて下さい。デイケア施設を紹介します、そこで少し良くなったら、デイケアと並行して作業所に勤めることになります」
ともう少し明確に私の運命は告げられていたらしい。
今まで23年生きてきたが、このときほど絶望したことはなかった。
あとで聞いた話ではあるが、両親の間では家族全員で心中しようか、といった提案がなされていたらしい。

しかし、そこで諦めないでいてくれた両親が、「治らないと宣言する医者のもとでは治らないから、もっと良い大きな病院に転院しよう」と提案してくれた。
別に断る理由もなかったので素直にその指示に従い、私はK大学病院に転院した。

一応浪人生なので、ぼちぼちとできる限りの勉強をしていたが、授業で得た知識はほぼ全て右から左に抜けた。
しかし、私には現役の頃、唯一取り立てて得意だった教科があった。
英語である。

父はこのまま浪人していては悪くなる一方だと判断したらしい。
英語だけの入試を受けて、大学になんとか滑り込む策を提案してくれた。
精神科医になれないなら断る理由もない。私は英語だけの入試を受けた。

どういう訳か、その入試で私はS大学に滑り込んでしまった。
晴れて大学生になってしまったのである。
病気の身で通えるかどうかという不安はあったが、新天地へ私は足を踏み入れることにした。

そして、過ごすこと4年間。
授業の方はどうしても肌に合わず、単位数が足りなくて卒業できなかったので同期のみんなの卒業に合わせ、大学は中退することにした。
しかし、たくさんの優しい友達に出会えた。
私が好きだ、生涯を共にしようと言ってくれる彼氏もできた。
そして私自身は、やりがいのあるアルバイトを後輩に教えてもらい、病気発症から7年経った今、フリーターではあるが社会人として充実した日々を送っている。

この半生を振り返ってみて思うのは、理不尽に苦労した分いかに私は強く、そして優しくなれたかということだ。
痛みを知った分だけ、人に寄り添えるようになったと自負している。
そして今、自分に誇りを持てるかと聞かれたら「持てる」と即答できる。
信頼できる今の医師にはまだ「寛解です」とは言われていないが、割とそれに近いものを感じている。

統合失調症は人によって様々な要因から起きる病気であるが、一番効く薬は向精神薬などではないと思う。
もちろん向精神薬も大事ではあるのだろうが、病気であることを含め自分自身を認められる強さを持てるようになっていく環境が一番大事だと私は考える。
そのためには、周りの人々の優しさに触れる必要があるし、自分を見つめなおす時間も必要だ。

これが7年病気と闘い続け、私が出した答えである。

そして、祖母がいかに我が家にとっての癌だったか、ということも大きく感じている。

それについては、次の記事「キチガイ親戚グランプリ」で述べたいと思う。

「今日も往く」をお読みになった方は既にご存じだと思うのだが、ソシャゲ、またアイカツとプリパラを極めるには金銭的に潤っていないと厳しいと嘆く私に、先日一つ希望が見えた。

「音ゲーやりたいだけならば、ポップンやれば楽しいしいいんじゃね?」

ポップンミュージックは私が浪人していた時代に、サボりという口実で(もはや口実ですらない)よく5ボタンで遊んでいた。
ちょうどポップン18、せんごく烈伝くらいの頃だった。
「撫子ロック」を5ボタンでクリアできるようになるまで何度も足を運んだ覚えがある。
そして、浪人を終え大学に入ったあたりでうたプリMUSICにハマったため、ポップンをぱたりとやらなくなった記憶がある。

さて、ポップンに希望を見出した私はバスで駅まで出て電車で20分強かかるゲーセンに足を運んだ。
(常々思うのだが何故うちの近所にはまともなゲーセンがないのだろうか)

今は「ぱせり」なる電子マネーがあると風の噂で聞いていたので、さっそくアミューズメントパスを3クレジットで購入した。
その「ぱせり」のチャージやら、ポップンにおいてのアミューズメントパスの名前の入力方法やらが機械慣れしているはずの私にもなかなか難関であったが(単に情弱なだけという説もある)、なんとかクリアできた。
ゲームを始める前から既にゲームは始まっているのだなと勝手に解釈して、いよいよポップンを始めた。

時代の流れには逆らえなかったのか絵が萌え系になっていて個人的にはうれしいなと思いつつ、無料プレイで撫子ロック9ボタンをなぞれないと悟った私は、そこで発見してしまった。

この機体、カードを排出できるタイプの奴だ………

以前大学時代の友人が言っていた「最近のポップンはカードが買える」という情報が頭に蘇った。
収集欲の強い私は、黙って3ステージプレイ+カード1枚の項目を選択。

結局、「ぱせり」のチャージは1日1000円と決めた私はチャージ額を使いきるまで3ステージプレイ+カード1枚を選択し続けた。

以下は結局、金銭的に厳しい中2日行って2000円を費やした私の感想である。

・1000円分もやるとくたびれるので気張らしにポップンは悪くない
・ただし磨いたスキルは実生活において特に役立たない
・カードは思っていたよりかさばる
・私の音ゲースキルはどう見ても壊滅的である

カードは100均で買ったカードホルダーに入れて悦に浸るとして、磨いたスキルが実生活において特に役立たないことが悩みである。
一緒にポップンして楽しめる友人がいれば解決する問題なのだが…ポップンで繋がる縁が今後あればいいなと密かに願っている。


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